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【5月のお話し】
死者の魂が子孫の供養を継続的に受けたことによって次第に浄められて個性を失い、「ご先祖様」と呼ばれるようになるといった祖霊信仰は、現在まで広くみられます。
飛鳥時代から平安時代末期までの貴族社会では、死者の魂が生者に禍(わざわい)をもたらす怨霊とならないよう祈りを捧げる期間は凡そ一年間と考えられていたことから、特別な事情がない限り、仏事は一周忌で打ち切られました。
その後、平氏政権・鎌倉幕府が日宋貿易を推進したことで、道教と習合した新しい仏教文化が輸入されます。なかでも、冥界で死者を裁く十人の王さまによって七日ごとに裁きを受けることで来世が決まるとされた十王思想の説く死出の山や三途の川といった死後の世界が、民衆にも次第に受け入れられました。
王の裁きでは、遺族が死者に対して追善の仏事を営むことが良い来世に生まれ変わる要素として重視されたため、室町時代ごろには、十王と習合した本地仏に新たに三仏を加えた十三仏のそれぞれに対応した三十三回忌までの法要が営まれるようになっていったのです。
合掌