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3月のお話し

今年のNHK大河ドラマの主人公、紫式部が活躍した平安時代中期には、平安京の京域内にお墓を作ることが律令によって禁止されていたことから、都の東にある鳥辺野(とりべの)や北の蓮台野(れんだいの)、西の化野(あだしの)などの葬地は、遅くとも11世紀後半には確定されていました。

とはいえ、これらの葬地は、あくまでも天皇家や貴族などの特権階級に限ったことです。芥川龍之介の『羅生門』に描かれるように、当時の都に暮らす市民は遺体を周辺の野山や川などに遺棄することが多かったため、庶民の墓地が発見されることは極めて少ないようです。さて、物語の舞台となる平安時代中期の藤原家一門は、鳥辺野で荼毘に付されて宇治木幡(うじ・こはた)の浄妙寺に埋葬されました。浄妙寺は室町期に廃絶し、今では道長の墓所も不明となりましたが、『源氏物語』行幸(みゆき)巻にある「十六日 彼岸の初にて いとよき日なりけり」などの文を目にしますと、藤原北家の出身ともされる紫式部がお彼岸に木幡をお参りされたのかなど、想像するだけでもワクワクしますね。合掌


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